マイ・ソウルフード

昔一瞬だけお付き合いした人が…
なんて小噺をTwitterにあげながら
今日の昼ごはんを作った。

私のソウルフード、お好み焼き。
「お好み焼きっていったら
広島とか大阪でしょう?」なんて
いけずなツッコミが聞こえて来そうだが
誰がなんと言おうと、そうなのだ。

私が産まれた頃、
家や車よりも高かった
"パーソナルコンピュータ"が
やっと手が届く値段とサイズになった。

それまではパンチカードという
穴をあけた厚紙を機械に通し、
自動機織り機(はたおりき)に
帯の柄情報をインプット、というか
物理的に経糸の上げ下げをさせていたのが
パソコンの普及に伴い
今となっては涙が出るほど懐かしい
"フロッピーディスク"を用いて
さらに複雑な柄や色を指定し
より手織りに近付いたものを
生産するようになった。

そのもう少し前のこと、
私の母が高校卒業後に就職したのが
「東洋電具製作所」という小さな会社。
掘建て小屋のようなプレハブ社屋に
数人の社員がひしめき、
今や小学校で教育に取り入れられる
プログラミングをやっている中で
事務員として働いていた母は
仕事の合間に他の社員から
ごく簡単なプログラミングを教わっていたそう。

そんな東洋電具製作所はのちに
今や世界にLSIを輸出する
京都を代表する企業、
ROHM株式会社と名前を変える。
「えー!
そのまま働いてたらお母さん今頃
億万長者やんー!」と言うと
「そうなったらアンタはおらんな」と。
もう戻れない母のあの日の選択肢の先の
キャリアウーマン姿を空想しワクワクしつつ
父との結婚を選んでくれた事に感謝していた。

そんな母の若き日の杵柄が
日の目を見る事になったのが、
我が家でのパソコン導入。
最早化石みたいに感じるPC-9801。
母は改めてプログラミングの勉強をし
帯のデザイン(図案情報)を
フロッピーディスクに打ち込むようになった。
外注すると恐らく今の初任給の数倍はしようか
社内でできるようになったお陰で
そこのコストが大幅カットされたのだ。

それまでのお絹掃除や経理事務作業と違い
朝から取りかかり、
時には夜遅くまで働くようになった母に
父が提案したのが
"家事の手抜き"だった。

それ以前の暮らしを私は知らないので
洗濯は父がするのが当たり前だったし
掃除は日々細々ではなく
来客予定の前に家族総出で大掃除。
食卓にはいつもホットプレートか
IH調理器が出ていて
お好み焼き、鍋、たまにすき焼きや鉄板焼き
野菜を切って食卓につき、
調理しながら食べるのが普通だった。

週2はお好み焼きだったんじゃないだろうか。
思春期に差し掛かりダイエットのために
夕食を減らそうとすると
「お好み焼きは野菜やから太らへん」と
謎のゼロカロリー理論まで飛び出していたっけ。
鍋も同様。締めの雑炊やうどんは
「こんなちょっとで太らへん」理論だった。
部活を辞めたら全然太ったし
そういう母の適当さのお陰で
口の中で煎りたての銀杏が爆発したこともあった。
人の言うことが必ずしも正しくないというのを
身をもって学んだ。

だから、私のソウルフードはお好み焼き。
おふくろの味、になるのかな?
でもお好み焼きって、そんなにめちゃくちゃ
作る人で味が変わるもんでもないし
おふくろってよりはおたふくの味。

思えば母は、いつもパソコンを見ていた。
絨毯の上をスリッパで駆け回り
目の上を切って流血した時も
工作をしようとカッターナイフを使い
膝の上で物を切り
太ももをサクッとやった時も
宿題を見て欲しい時も
癖毛でいじめられて帰り
泣きながら母を責めた時も
抱っこして欲しい時も
テストでいい点とって頭撫でて欲しい時も
いつでも母は画面を見ていた。

寂しかったな。
そんな恨み言をもう言えないのも
寂しいな。

母の誕生日が近い。
生きてたら72。
どんなお婆さんになってたんだろう。
会いたいよ。

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