性を考える

アメリカの映画で
「身体は女性として産まれてきたけれど
心の中(性自認)は男性」という
トランスジェンダーの役を
演じる事予定だった
ハル・ベリーさんが
降板する事になったというニュースについて。

前置きとして
私は
性自認と身体の一致するシスジェンダー
であり、恋愛対象は男性、
いわゆる"ストレート"です。

分からない、と突っぱねるのではなく
分からないなりにも
理解したいし
また理解することによって
私にできる配慮、
またはその配慮とお節介の線引きも
しっかり知りたいと常々思っています。

さて、今回の件。
ハル・ベリーがインスタで行われた
インタビューにおいて
配役された話をするにあたり、
「男性になった女性の役」
「トランスジェンダーの"女性"」
「彼女が〜、彼女は〜」という
表現を使ったことにより
トランスジェンダーの方々の猛批判にあい
自ら出演を辞退した、ということでした。

産まれ持った身体と性自認が
一致しないということ。
20年ほど前でしょうか、
テレビドラマで
「性同一性障害」について
取り上げられてから
お茶の間での理解が
少しずつ深まってきました。
障害、という言葉がつくの自体
ちょっと引っかかるのですが
狭義においてのトランスジェンダーと
性同一性障害は同じことです。

必ずしも親の理解が得られるとは限らず
小さな子供のうちから違和感を抱え
思春期、第二次性徴を乗り越える
というのは、
性自認の一致している人間からしたら
想像が全くつかない
つらい日々の連続だと思います。

ただ、通りすがりに
洋服、髪型、雰囲気などの
視覚的な情報だけで
その方の性自認と身体の性別が違うのを
見分けろというのは
年齢当てるより100万倍難しいというのも
正直なところ。
ボーイッシュな女の子
フェミニンな男の子
中性的な顔立ちの子
ファッションとして楽しんでいる子
おじさんみたいなおばさん
たくさんいるしね。

銭湯や公共のトイレのように
性別で分けられているような場面では
申し訳ないけれど
事情を知らないとやはりびっくりしてしまう。
そんな風に
学生時代はもとより
社会に出てからも
"仕方なく受け入れざるをえずに
いるであろう事"が
きっとこれも、きっとあれも、と
少し想像しただけでも
たくさん湧いてきます。

確かにハル・ベリーは
今回の取材において
恐らく認識不足だなと感じる上
どうも配慮に欠けるような
発言をされており
批判は仕方ないことだと思います。
そこはご本人も
後日丁寧に謝罪をされてます。

ただそこで声があがっている内容のうち
「トランスジェンダーの俳優が
トランスジェンダーを演じる機会を
シスジェンダーが奪うな」というのは
ちょっと意味が分からないんですよね。
LGBTQ+の役柄を
ストレートの役者が演じることを
"ストレート・ウォッシング"といい
近年批判が集まっているとの事なんですが、
「逆に、なぜストレートではダメなの?」
と思ってしまうのは私だけでしょうか。

もちろん、役柄を決めるにあたり
誰が演じるかにおいては
公平に選出されるべきと思います。

その映画が作品として
人の心を動かし
素晴らしいものと認識されるにあたり
「トランスジェンダーだからいい」
「シスジェンダーだから駄目」
ということはあり得るのでしょうか?

全体数から確率を考えると
映画を目にするのは
大半がシスジェンダーということになります。
もちろんそこで
より勘違いを生むような表現、
まさに"ストレート・ウォッシング"な
演出があっては絶対にいけないですが、
"台本からその役の心理的背景を汲み取り
また取材や役作りを重ねた上で
見てる人に伝える"という作業においては
それぞれの役者の技術によるところが
一番重要なんじゃないかと思います。
そこに性的指向や性自認は
関係のないことではないかな?とも。

昨今、
世界各国で行われている
レインボーパレードを始め
インターネットなどでも気軽に
LGBTQ+について知る機会が
増えてきました。

とは言え
まだまだテレビの中の世界というか
「どこか遠いところにいる人たち」
というイメージも強く
家族や親しい友人にひた隠しにしたまま
生きているという方も
たくさんいらっしゃいます。
ゲイの友人に、
心ない言葉を投げかける酔っ払いに
憤ることも少なくありません。

今回のブログを読んで頂いた方が
街ですれ違うLGBTQ+の方について
ほんの少しだけでも理解を深めて頂く
きっかけになったら嬉しいと
この記事を書くことにしました。

そして
もし何か間違っている所があれば
ちゃんと直して正しく伝えたいので
ご指摘頂ければ幸いです。

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